出発準備  1/12 終日 1/13 午前 1/13 午後 1/14 午前 1/14 午後 1/15 その後

■午後(スラ・スラン〜タ・プローム〜タ・ケウ)


【スラ・スラン】

 午後の行程が始まった。
 バスを降りると、石の階段が見えた。階段の向こうには今まで見えていた植物たちはなく、そのまま空が始まっていた。イメージとしては、海岸の防波堤の、海が見える手前の雰囲気だ。 階段をのぼると、そこには予想通り広い水面が広がっていた。

 スラ・スランは、王の沐浴場という意味である。700m×350mもの広い人造池が、王一人の沐浴のためだけに作られたという。水は雨水が溜まったものだそうだ。

 このスラ・スランも歴史の洗礼を受けていた。ポル・ポト派がこの地を支配した時期に、スラ・スランはその床石をはがされ、田んぼにされてしまったという。
 このスラ・スランは、東に水辺が広がっているので、日の出も美しいらしい。機会があればここからも日の出を見てみたいという気持ちになった。

 スラ・スラン

 (4.1MB)


【タ・プローム】

 いよいよ期待のタ・プロームにやってきた。ここは巨大な樹が遺跡を包み込み、破壊しているという。
 この樹は、ガジュマルという樹だが、通常森などでは、他の樹木に種を落とし、その上で寄生樹的に成長し、すさまじい速度で根と枝を伸ばし、ついにはその寄生した樹を絞め殺してしまうらしく、「絞め殺しの樹」とも呼ばれる。

 遺跡の外観からはそれほど目立たないが、遺跡に入ると、早速お堂を包み込み、レンガの間に割り込む根が目に入った。ビデオを見ると良く分かるが、遺跡を構成する直方体の石と石の間に根が入り込み、それを今まさに押し広げている真っ最中である。
 過去に何度も、自然の力に驚くことはあったが、ここで目にしたのは、「本当に物理的な意味での力」を、自然が発揮している姿であった。しかも貴重な遺跡を、この遺跡の時間間隔から比較すると相当な速さで破壊をしつづけている。
 遺跡を守るためには、このガジュマルの樹を除去する必要があるが、すでにこの状態だと、樹を除去した途端遺跡が崩れてしまうという。ということは、すでに遺跡は破壊されてしまっており、それをこの樹が立っている間はかろうじてその姿を維持できているだけだというわけだ。ガジュマルも成長が早いせいか、巨大になった後、すでに枯れ果てているものも多かった。そうなったら後はただ、枯れ木の崩壊とともに遺跡も崩れ行く。そして、「この状態になったからには、自然が遺跡を破壊している様をそのまま見せよう」と、修復をあきらめたのがこのタ・プロームであった。

 いたるところに根を張り巡らす樹々に、ただただ、ため息が出るだけだった。比較的長い時間ここにいたが、それでも冷静にこの光景を見る心境に至らなかった。自然の力、遺跡の長い時間感覚、ガジュマルの成長のスピード、枯れゆくスピード、この遺跡を組み上げた人々の力、壊されゆく遺跡。速いような遅いような、力強いようなそれでいて脆いような、矛盾する感覚が詰め込まれた空間が、このタ・プロームであった。願わくば何時間もここにたたずんでいたかった。

 (3.0MB)



▲後から知ったことだが、このタ・プロームは「天空の城ラピュタ」のモデルになったらしい



【タ・ケウ】

 タ・ケウは、行程には含まれていたが、一行はみんなすでに歩き疲れており、中に入らず外から眺めるだけにした。

 タ・ケウ

■プノンバケンからのサンセット

 タ・ケウを出発して、すぐにプノンバケンへと向かった。
 遺跡の観光が一通り終わったなと思い、ぼんやり、過ぎてゆく風景を眺めていた。すると、何気ない道端の、木々の生えているその根の下に、崩れ去った遺跡の痕跡が横たわっているのが目に入った。それは一瞬の光景だったが、この地には、私達が訪れたよりまだはるかにたくさんの遺跡が眠っていることを実感した。

 苗木栽培試験場そばの遺跡の破片(2.3MB)

 バスはバイヨンの脇を抜け、南大門を通り、プノンバケンへとたどり着いた。バスを降りると急な斜面が待っていた。階段があるわけではなく、岩と木の根が不規則に斜面を刻んでおり、みんなそれを足がかりに斜面を登っていた。
 脇には象がいて、15ドル払えば象が上まで運んでくれるらしい。私はその時点で、シェムリアップ空港で払う8ドルの空港税を残して、数ドルしか持ち合わせていなかったので、残念ながら象に乗る選択肢はなかった。
 同行のご夫婦のうち一組が乗るということになったので、その申し込み手続きをするケリアと、象の順番待ちのご夫婦を置いて、私と残りのご夫婦はさっそくプノンバケンの坂道に取り掛かった。



▲下から見上げたプノン・バケン




▲プノン・バケンの険しい坂道(1.2MB)


 坂道を登りきると、汗はどっと噴きだし、のどはからからだった。水は少し残っていたが、冷たい飲み物を流し込みたかった。山の上には石畳があり、その数十メートル先にさらに遺跡がそびえ立っていた。
 石畳の途中にいくつかの物売りの子供達がいた。ふらふらと通り過ぎようとすると、クーラーボックスに入った冷たい缶ジュースが目に入った。私は迷わず歩みより、「いくら?」と聞く。「イチドルゥ」と答えたので、私は残り少ない1ドルを渡し、クーラーボックスの中からセブンアップの缶を取った。
 久しぶりの冷たい炭酸を喉に流し込みながら、山頂の遺跡の急な階段を上った。登りきるとまぶしい太陽が目を眩ませた。



▲上から見下ろしたプノン・バケン




▲(左)7UPを飲んでいる(1.6MB)/(右)プノン・バケン山頂の遺跡(1.7MB)


 遺跡の西側はすでに多くの人が並んで座っていた。日本人もいるし、西洋人もいる。アジア人だが日本人ではない人もいた。様々な人種の人々が、同じ景色を見に集まってきている。
 少し歩いて座る場所を探すと、1.5人分くらいのスペースが空いていたので、そこに場所をとった。もしケリアが登ってきたら、隣に座らせてあげようと思った。
 しばらく太陽と景色を眺めながら、そして時々ケリアが来ないか回りを見渡しながら待っていた。しかし、ケリアは視界に入ってくる様子はなかった。
 そうしているうちにも太陽は高度を下げ、空は赤く染まり始めた。朝のサンセットで見た赤と比べると、橙色がかったやわらかい色だった。



▲サンセットを見に来ている様々な国の観光客(3.1MB)




 太陽が地平まであと少しとなった頃、雲がかかり始めた。太陽の丸い輪郭が雲に削られ、それが通り過ぎると再び現れ、しかしまた隠れ、もう姿が見えないかと思いきやまた現れた。
 もう隠れたと思った太陽が再び現れるたびに、プノンバケンの頂上に陣取る人々から、オォ、という感嘆の声が漏れた。

 ゆっくり、ゆっくりと沈んでいく。

 陽光は豊かなカンボジアの地平を名残惜しそうに照らしながら、ゆっくりとその姿を小さくしていった。

 豊かな地平―

 豊かな時間―

 この暖かい土地のすばらしい光景は、この旅行の締めくくりにふさわしい、思い出深い記念となった。







 太陽が沈んでも、まだ辺りは明るかったが、人々はいっせいに下山をはじめた。真っ暗になると、あの急な不規則な斜面を降りるのは極めて困難かつ危険になるらしい。
 私は完全に暗くなるまでその様を見届けたかったが、街灯もない急斜面を安全に降りる自信もなかったので、しぶしぶ下山することにした。
 途中ケリアを見かけ、声をかける。ケリアは、「ドウデシタ?」と聞いてきた。私は、うまく言葉にできなかったので、笑顔で頷く。すると、ケリアも嬉しそうにコクンと頷いた。

 僕らは斜面に手をつき、両手を土まみれにしながら下山した。下りきると下には何台ものバスと何台ものバイタクが待っていた。
 乗ってきたバスを見つけ、乗り込む。

 今度こそ最後の乗車。

 ドアが閉まり、バスが空港に向けて走り始めた。

 空港へ向かうバスの中(2.3B)

■帰途

 今日帰途につくのは、私だけだった。8人を乗せたバスはシェムリアップ郊外に向かい、空港に乗り入れた。
 「お先に失礼します」
 私は、二組のご夫婦に挨拶をして、ケリアと二人でバスを降りた。ケリアは空港の入り口まで来ると、空港での手続きの手順を教えてくれた。
 最初に、搭乗手続きをし、次に空港税8ドルを払い、そして最後に出国手続き。教えてもらった順序を反復し、そして、私は、ケリアに別れの挨拶をした。

 「マタ来テ クダサイネ」

 ケリアはそういうと手を振った。
 私は手を振りながら、二、三歩下がり、そこで振り向き、空港の入り口をくぐった。私は空港の中に入ってもう一度振り返る。ケリアは空港の外にいた同年代の友達と少しおしゃべりし、そしてバスへと戻っていった。バスの中からはご夫婦達がこちらを向いて手を振っていたので、私も大きく手を振り返した。

 さ、旅が終わる。

 私は、ケリアから教えてもらった通りに、搭乗手続き、空港税の支払い、出国手続きを終え、待合室に入った。
 待合室は小さく、50〜60人でいっぱいになっていた。待合室の壁には、シアヌーク殿下とおぼしき写真が飾ってあった。
 知った人の誰もいない雑然とした生暖かい待合室に腰掛けると、私は急に物寂しくなった。そしてもってきたMP3プレーヤーのイヤホンを耳にした。

 ―きみがいた夏は とおい夢のなか
         空に消えてった 打ち上げ花火―

 Whiteberryの歌が空港の雑音を消し、どこかへ行ってしまいそうな心のかけらを、そっと慰めてくれた。

(2.6MB)



 待合室の窓の向こうの滑走路に、飛行機が着陸した。飛行機はスピードを落とすと途中でUターンし、待合室の正面までやってきた。
 飛行機から、乗客が降りてきた。ちょうど一昨日の夜、私が降りたように。
 そう、ほんの二日前なんだな、と改めて思う。たくさんのものを見たせいか、もっと長い日数いたような気がする。たくさん歩いたせいかもしれない。
 乗客が降りてくると空港はさらににぎやかになった。しかし、小さ目の飛行機にのっている乗客の数はそれなりに少なくて、あっという間にもとの雰囲気に戻った。
 そうこうしているうちに出発時刻が近づき、空港のスタッフがあわただしく動き始めた。
 正面の扉を開け、その上部に「PG 943 BANGKOK」という横長の掲示板を差し込んだ。待合室にいた乗客たちはわらわらと立ち上がり、狭い出口へと向かった。





 この空港に到着した時のように、歩いて飛行機まで向かう。
 飛行機に乗ると座席の上の空調機から、目で見て分かるほどの白い冷気が降りてきていた。
 まずはバンコクまで約50分。

 途中、軽食が出た。それを食べて、窓から外を眺めて、トイレに行き、そして座席の前の冊子をぱらぱらと眺めているうちに飛行機は着陸態勢に入った。
 もうバンコクだった。
 現地時間で午後9時前だった。ここでトランジット。二回目なので、不安もほとんどない。あるとすれば、バンコク〜成田間の飛行機できちんと眠れるかどうか、というくらいだった。
 バンコク・ドンムアン空港で、再びクレジットカードの電話機を見つけたので、実家に電話をかけてみる。おそらく日本は夜の11時頃。今度はつながった。「今バンコクで、今から日本行きの飛行機に乗るところ」。そのくらいの短い話だけして電話を切った。
 トランジットの手続きをして、搭乗口に向かおうとした。が、前回のトランジットで、一気に搭乗口に向かってしまい、フットマッサージを受けそこなったことを思い出した。お金はないので、フットマッサージは受けられないが、今のうちに調達しておいた方がいいものが無いだろうか。荷物を見渡した。
 水。
 水が無くなってる。シェムリアップ空港でほぼ飲み干してしまった。今から搭乗までの2時間、そして飛行機に乗っている間、手持ちの水がないと厳しい。水を売っているところを探す。屋台のようなドリンクコーナーを見つけて、近寄ってみる。缶ジュースが30Bと書いてあった。「B」ということは、バーツだ。リエルの残りと、2ドルと、数千円は持っていたが、バーツは無い。ということは両替をしなければならない。喉が渇いてきた。私は空港の中を後戻りして両替所を探した。半分ほど戻ると両替所らしきところを見つけた。
 「エクスキューズミー、エクスチェンジ ワンダラー トゥー バーツ」
 窓口の人に言って、1ドルを出すと、その人は手早く両替をし、見慣れぬ紙幣と見慣れぬコインを出してきた。
 これがバーツか、と、それを手にして、先ほどの屋台に戻る。私は屋台の人に、  「ディス アンド ディス」
 と、人差し指で二つの飲み物指差して、欲しいものを伝えた。すぐにコミュニケーションはとれ、私はその分のバーツを渡した。こうしてやっと待望の飲み物を手に入れることができた。
 私の財布には、円とドルとリエルとバーツが混在し、分けが分からない状況になった。

 私は搭乗口へと向かった。手荷物検査をやり過ごし、待合室に入った。待合室には、日本の新聞が置いてあった。
 1時間ほど過ぎると、機内への案内が始まった。JALの飛行機に乗り込むと、私の席は最後尾から3番目の窓際だった。しかも私の前の列までが3席ある列で、私のところから2席の列になっていたので、足元は1.5列分くらいのスペースがあった。眠るとき寝返りを打つことが多い私にとっては、ありがたい席だった。
 飛行機に乗ったのが現地時間夜の11時。日本時間に直すと午前1時。明日の朝は通常どおり10時から勤務。ちゃんと眠らないと体力的に厳しい。
 離陸してまもなく、私は眠りについた。東京〜松山の夜行高速バスよりは寝心地は良いような気がした。



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